祈りと念仏
このブログは人様に読んでいただく事を目的として書いているのではありません。
何と言いますか、書きたいと思う事をただツラツラと気分に任せて書いております。
別にブログを持ってますので、その為の下書き的なブログなので、言ってみれば頭の整理というか、まあそんな感じです。
書きたい事を好きな時に書く、だからテーマも内容も毎回違ったものになったりして統一感はないかも知れませんが、そこはどうぞご容赦の程を。
そんなで今日のテーマは「祈りと念仏」です。
先のブログ記事の中で井上洋司神父の事を書かせていただきました。
井上洋司神父は私が20代の頃に、精神的、宗教的に実に大きな影響を受けた方ですが、井上神父が晩年辿りついた境地は「南無の心に生きる」という事でした。
イエス・キリストの説く〈愛〉、そして愛の神に自らの弱さや醜さをすべて預けて、全託して生きるという事を、「南無アッバ」というとても短い祈りに結実させておられました。
〈アッバ〉というのはユダヤ地方でパパとか父ちゃんと言った、子供が素直に親に甘える時の言葉で、イエスが神に祈る時に使った言葉だと言われています。
〈南無〉というのは「帰依する」という意味で、サンスクリット語のナマスが語源だとされています。
南無アッバ、本当に砕いて意訳してしまうと「パパお願い!」といった感じですかね。
キリスト教の教会でよく唱えられる「天にまします我らの父よ」というような仰々しい言葉とはかなり違い、子供が親を全く疑う事なく信頼するように、神様に本当に信頼をする、全託するという心の現れなのだと思います。
井上神父がアッバに南無を付けたのは、もちろん南無阿弥陀仏という念仏が基になっています。
ヨーロッパの長きキリスト教文化の重みというものに散々苦しんだ神父が、辿りついたところ、それは日本の仏教、法然上人の思想でした。
仏教や宗教思想に詳しい方はご存知のように、法然上人は日本における偉大な宗教改革者でありました。
様々な難行、苦行を行っても悟りに程遠い人間の業というもの。
その深き業を見つめ続け、貧しく、学も無い人々を如何に救いに導くか。
法然上人が目指したもの、それは貧しさや病苦、己の弱さ醜さに喘ぎ苦しむ人々の救い、〈弱者の救い〉というものでした。
比叡山で天才と言われ、学問と修行に励む法然上人はある時に比叡山を出て街中に入ります。
若き日に街中で上人が見たもの、それは日々生きる事のみが精一杯という、貧しさや病に苦しむ下層の人々の姿でした。
そのような人々と間近に出会い、上人の心に強い疑問が生じます。
「これらの人々は学も無く貧しい、そして仏道に入る機縁も無い。そんな日々を苦しんで生きるだけの人々に、果たしてみ仏の救いはもたらされるのか?」
比叡山の一角に籠り、それから長きにわたり法然上人と膨大な量の仏教経典〈大蔵経〉との格闘が始まります。
来る日も来る日も膨大な量の経典を必死な思いで読み解く上人。
「あるはずだ、必ず人々を救いに導く道が、」
そして法然上人はようやく発見します。
〈 南無阿弥陀仏 〉
ただ阿弥陀仏、み仏の名を呼びひたすら帰依するだけでよい。
「私にすがりなさい。私はどんな罪深き者、業の深い者でも救ってあげるのだから。」
上人の心に静かな光が広がってゆきました。
そしてそれは、日本の仏教界に新たな光がもたらされた大いなる瞬間でした。
記 ヒーラー坊主K/.2016