南無の心に生きる
アッバ、アッバ、南無アッバ
イエスさまにつきそわれ
生きとし生けるものと手を繋ぎ
おみ風さまにつつまれて
アッバ、アッバ、南無アッバ
私が今一番熱心に唱えてる祈りです。
前回のブログに書いた井上神父神父が作られた祈りですが、詩というか祈りというか、とても暖かい言葉ですね。
仏教の浄土系の祖師である法然上人、親鸞聖人は、あの膨大な仏教思想を《南無阿弥陀仏》という本当に短い唱え言葉に凝縮をされましたが、井上洋治神父も、長きに渡る西洋キリスト教の膨大な思想、歴史を《南無アッバ》という、あまりにも短い祈りに凝縮されました。
アッバというのは、イエスの生きておられたユダヤ地方のアラム語で、パパとか、おとうちゃんという意味だそうです。
イエスキリストは神様に祈りを捧げる際に、このアッバという言葉を常に使われていたと言うことです。
つまりイエスさまにとって、神は《パパ》と言える程の本当に甘えながら飛び込んでいける暖かい存在だったということでしょう。
自我、エゴだらけの自分の心を、アッバという大いなる存在に丸ごと開け渡し、プネウマ、ギリシャ語で《風、聖霊》の働きの場所となること。
南無アッバの祈りには、そのような井上神父の思いが凝縮されています。
長年自我、エゴに苦しんできた私にとって、この南無アッバの祈りは、何か本当に心の安らぎになってきています。
街を吹き抜ける風も少し冷たさを感じるようになり、その風は季節の変わり目を知らせてくれます。
来年50歳になる私も、人生における季節の変わり目というところに立っているのかも知れません。
常に移り行く私たちの人生にも、聖霊の息吹きであるプネウマ《風》は優しく、暖かく神様の想いを私たちに伝えてくれます。
自然の中で、街中で、私は神様であるアッバに想いを馳せます。
この祈りを届けてくれた井上神父に感謝を捧げながら、天を仰ぎ、そして祈ります。
アッバ、私は常にあなたのみ心と共にあります。
アッバ、アッバ、南無アッバ
記 ヒーラー坊主K/.2016